2019/04/26 五十四年後のゴール

 今年の大河ドラマ「いだてん」の主人公・金栗四三氏は、日本初のオリンピック選手であり、また箱根駅伝の創設者として知られています。

今年大河劇「いだてん」的主人公金栗四三是日本首位奧運選手,也是創辦箱根接力賽的一位運動員

マラソン選手として、当時世界記録を大幅に短縮するなど、期待をもって一九一二年開催のストックホルムオリンピックに送り出されました。

身為馬拉松選手,當時大幅的縮短了世界紀錄的他,背負著大家的期待,參加了1912年的斯德哥爾摩奧運

しかし、レースは記録的な暑さの中で行なわれたため、途中棄権する選手が続出し、金栗選手も同様に日射病にかかり、意識を失って倒れてしまいました。

但是比賽當天的天氣非常炎熱,中途棄權的選手一個一個出現,而金栗選手同樣也耐不住酷熱失去了意識而倒下

近くの農家で介抱され、意識が戻った時にはすでに競技が終わっていて、金栗選手は周囲の期待に応えられず、帰国することになったのです。

最終在附近的農家中恢復意識時,比賽已經結束了,金栗選手無法達成國民的期待歸國了

時は過ぎ、一九六七年、当地でオリンピック開催五十五周年を祝う式典に氏は招かれました。そして、委員会の計らいもあり、改めてマラソンのゴールテープを切ったのです。記録は五十四年八ヵ月六日五時間三十二分二〇秒三でした。

時間流逝,1967年他應邀參加了慶祝奧林匹克運動會成立55週年的慶典。 並在委員會的幫助下,再次通過終點線。 以54年8個月6天5小時32分20.3秒的時間完成了比賽。

「体力・気力・努力」が座右の銘だったという氏。自身の記録と同様に、長い年月をかけて今日の日本スポーツの礎を築き、後進の育成に尽力したのでした。

「體力・氣力・努力」作為他的座右銘,就如他自身的紀錄一樣,盡心盡力、一步一腳印的打好今天日本的運動基礎,為培育後輩而努力


今日の心がけ◆情熱をかけて物事に取り組みましよう

讓我們對於事情抱持熱情吧